落ち度
自分が被害者にも加害者にもなりえるのが世の中。理不尽でも。
「被害者にも落ち度があったのでは?」の正体 pic.twitter.com/kMRhOHcpz6
— 洋介犬@インガ様(1)発売中 (@yohsuken) 2019年1月12日
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— 洋介犬@インガ様(1)発売中 (@yohsuken) 2019年1月12日
実際ひったくりにあった時に
— FIRST中の人@SCAR PDW (@figure_f) 2019年1月12日
「そんな時間に出歩くから」「あんな道通るから」「ショルダーバッグにしないから」って言われたけど、
社会人飲み会帰りで終電までに帰り自転車で帰っててショルダーバッグを引きちぎられて体中傷だらけになった奴に言う言葉がそれでした。
盾の攻撃力高くて痛いです。
反応
「どんなに気をつけていても唐突な理不尽を被る可能性がある」ことを認めてしまったら、それに怯えて生きなきゃいけないから「気を付けていれば安心」だと思いたい、ってことかな?
落ち度があろうとなかろうと加害者が悪いのにはかわりがないからなぁ。落ち度の有無を正しく評価出来ないのだけなのかも
こういう話題が出るたびに思うのが、周囲の人間が被害者に「責任論」を被せるのは、日本の「司法」や「治安機構」が何かあった時にそういう差配をするからじゃないかな。
「落ち度」や「原因」という、「悪い」という印象を連想させるワードを使うからおかしくなる
落ち度なんて考えれば幾らでも出てくる どんなに対策しようが人生で数回あるかわからないような出来事に対して咄嗟に反応出来るかなんてもはや運でしかない
併せて自分が加害者になった場合の防壁
自分が被害者にも加害者にもなりえるのが世の中。理不尽でも。